川中島地区には、各種石造物が一三〇基ほど寺社、公民館、辻などに散在している。そのうち多いものは、聖観音(しょうかんのん)(八)、三十三ヵ所巡拝塔(六)、庚申塔(こうしんとう)(一一)、地蔵菩薩(じぞうぼさつ)(一〇)、六地蔵(二四)、道祖神(一一)などである(『長野市の石造文化財』)。
聖観音をはじめ各種観音は、平安時代に盛行後も衆生(しゅじょう)を救う現世利益(げんぜりやく)の菩薩として信仰されていたことがうかがわれる。また、僧形の地蔵菩薩は人びとから親しみをもって身じかに祭られている。当地区所在の庚申塔では元禄(げんろく)八年(一六九五)記年銘がもっとも古いが、今里南方富神社境内と新田公民館庭にある入母屋(いりもや)型、二猿のものは古い形式でたぶん元禄以前の造立であろう。当地の道祖神の造立は文化四年(一八〇七)~安政三年(一八五六)であり、江戸時代後期道祖神信仰がきわだって高まりをみせた時期と一致している。念仏塔五基のうち三基は念仏行者徳本の六字名号が刻まれており、徳本(宝暦八年、一七五八~文政元年、一八一八)布教巡回のあとがしのばれる。四ッ屋の道端にたつ馬頭観音は、穀屋・酒屋であった人が、弘化災害の避難時にも懸命にはたらいて安政三年に亡くなってしまった家族同様の馬への愛惜と感謝の思いでたてたものといわれている。
その他かつて人びとが石に祈りや願いなどをこめて造立した記念碑、筆塚、学校跡碑、天神社、秋葉(あきば)社など各種の石造物に接することができる。