一 神社

658 ~ 660

 伊勢社 四ッ屋 ①祭神 天照皇大神 ②由緒 本村の産土神(うぶすながみ)で、はじめ字浦河原にあり、その後犀川本瀬の南下により現在地へ移された。社殿は弘化四年(一八四七)の地震により倒壊し、さらに洪水で流失した。

 本殿は安政三年(一八五六)に再建、現在の拝殿は、弘化の災害後全村が一丸となって倹約につとめ、家別に一銭(文)ずつの日掛銭をつづけてできたもので、明治十三年(一八八〇)に竣工した。八幡社は明治末年に若宮沖から伊勢社境内に移され、ほかに菅原社などがある。境内南東隅に公会堂があり、境内南側のほうにはいくつか祠(ほこら)が祭られている。十月二日の例祭当日は神楽奉納や花火の打ちあげでにぎわう。


写真2 四ッ屋の伊勢社

 南方富神社 今里 ①祭神 建御名方命(たけみなかたのみこと)、事代主命(ことしろぬしのみこと) ②由緒 本村の産土神、はじめ諏訪社といった。諏訪社本社の例にならい、上社は字内後、下社は字上西に祭られていた。文政(ぶんせい)三年(一八二〇)社号を「南方富神社」(建御名方の略称)に改称。明治四十年の政府の神社統合通達により、同四十二年摂社は上社境内に、下社は上社に合祀(ごうし)された。境内に養蚕神社、神明社、秋葉社などがある。当社に天正(てんしょう)十一年(一五八三)下社再建の棟札がある。太平洋戦争時境内に茂っていた欅(けやき)、赤松の大木十数本が国家総動員法の対象となって供出された。


写真3 南方富神社

 川中島斗売神社 上氷鉋 ①祭神 建御名方命、八坂斗売命(やさかとめのみこと) ②由緒 中世一村だった氷鉋村は文禄(ぶんろく)四年(一五九五)の太閤(たいこう)検地のころには上、中、下の三村になっていた。分村によって諏訪明神社は上氷鉋村の産土神となった。そのさい諏訪社本社の例にならい上社は宇諏訪沖に、下社は字前河原に祭られるようになった。当時の下社の御神鏡は今も社宝として保管されている。享保十六年(一七三一)塩崎旗本知行所初代松平忠容(ただやす)の領内巡視のさい、上・下社とも再建。文政元年社号を川中島斗売神社と呼称して現在にいたる。拝殿は明治十一年明治天皇北陸東海御巡幸のさい、丹波島宿本陣柳島家でお小休(こやす)みされたがそのお小休所として新築したもので、翌年斗売神社の拝殿として移築された。同年下社を「養蚕社」に改めたため、上社は単に「川中島斗売神社」と呼称され現在にいたっている。社務所はもと上氷鉋村の郷蔵(ごうぐら)で昭和五十五年(一九八〇)に移築された。


写真4 川中島斗売神社

 養蚕神社 上氷鉋 ①祭神 保食命(うけもちのみこと) ②由緒 当初諏訪明神下社として発足、弘化四年震災後の洪水のため社殿が流失した。明治十二年社殿を再建、下社を「養蚕社」に改称した。かつて祭日には繭玉をかたどっただんごやつくり小判などを竹の枝に付けたものが配られ、参詣者も多かった。

 壱本木社飯縄大明神(於下)は祭神保食命、ほかに秋葉社・八幡社・御嶽社・鹿島社を合祀。天白社(古森沢)は祭神須佐之男命(すさのおのみこと)、ほかに菅原社・秋葉社・養蚕社を合祀。養蚕社(阿弥陀堂)は祭神養蚕神、秋葉社・雁田社・菅原社を合祀。若葉神社(四ッ屋)は祭神天照大神、昭和五十五年若葉団地内(石祠)に創立されたもの。神社の行事などは、団地の祭典役員などにより運営されている。