二 寺院

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 唯念寺 真宗大谷派 上氷鉋寺町 ①本尊 阿弥陀如来(あみだにょらい) ②山号 一重山 ③由緒 寺伝によると開基は和田義盛(一一四七~一二一三)の長子常盛の四男義包(よしかね)で親鸞(しんらん)に深く帰依し、承久(じょうきゅう)二年(一二二〇)弟子になり法号を善入坊と称し、屋代一重山に草庵(そうあん)を結ぶ。のち上氷鉋にきたって一宇を建立した。その後嘉元(かげん)三年(一三〇五)三代唯円のとき本願寺覚如(かくにょ)から寺号を許され唯念寺(ゆいねんじ)と称した。よって唯円を開山とする。永禄(えいろく)年中(一五五八~七〇)一時、越後の中頸城(なかくびき)に移ったこともあったが現在地にもどり寺堂を再建した。八代超宗は元亀(げんき)三年(一五七二)本願寺の顕如の檄(げき)に応じて唯念寺門徒衆一六人とともに誓書を出し石山本願寺(現大阪城本丸の地)に籠城した。また天正(てんしょう)五年(一五七七)籠城中の本願寺顕如に兵糧米一〇俵余を送っている。

 元禄五年(二(九二)十月本堂香部屋から出火し、本堂・経堂などを焼失した。天明六年(一七八六)本堂を再建、弘化四年(一八四七)の水災で本堂床上まで浸水し、裏側の縁側なども流失した。洪水時ミイラ仏が大杉に流れ着き、あとで境内に埋葬した。庫裏は昭和五十四年(一九七九)に新築、境内地も整備し現在にいたっている。寺宝は法然・親鸞御影入り名号軸、如真、蓮如の名号、証如の御影などがある。


写真5 唯念寺本堂

 妙善寺 真宗大谷派 上氷鉋寺町 ①本尊 阿弥陀如来 ③由緒 当山は正保(しょうほう)五年(一六四八)三月本村の農、水野良左衛門が浄土真宗に帰依して仏門にはいり妙善と号し仏道場として開基した。道場は二代に妙善寺と称し本寺唯念寺東側に建てられた。弘化四年の洪水のため古文書などを流失した。嘉永年間(一八四八~五四)檀信徒の協力で仮堂ができた。現本堂は一七代良祐のときに本村新田の庚申堂が唯念寺へ寄付され、妙善寺の本堂となった。

 円光寺 浄土宗 今里 ①本尊 阿弥陀如来 ②山号 金蓮山 ③由緒 寺伝によると創建は建久(けんきゅう)三年(一一九二)といい法阿が当地を巡錫(じゅんしゃく)し一宇を建立し開山となった。法阿は九州豊後(ぶんご)(大分県)の人で俗名を権田吉法といい建久九年に没している。本寺ははじめ金蓮山来迎院といい、のちに祖師法然(円光)の諡号(しごう)をとって円光寺と称した。

 慶長(けいちょう)十一年(一六〇六)正庭が寺堂を再興し中興開山となった。正庭は小田切幸長の一子少輔の二男(正賢)で、父と幸長の菩提を弔うため仏門に入ったという。中興開基は今里の坂口氏といわれる。境内には小田切幸長夫妻の墓がある。本堂は明和七年(一七七〇)に再建、安永三年(一七七四)にも再建、天井には見事な竜が描かれている。庫裏は弘化四年に改築され、さらに平成八年にも増築、鐘楼門も同八年に建立された。

 円成寺 臨済宗妙心寺派 今里 ①本尊 釈迦牟尼仏(しゃかむにぶつ) ②山号 月輪(げつりん)山 ③由緒 寺伝によるとかつては鎌倉の建長寺の末寺であった。当寺は以前長峰地籍にあり、昭和四十二年(一九六七)寺脇の荒沢堰の改修時に寺の塀が層となって発見され火災のあともみえたという。のち、妙心寺の悦巌(えつがん)が応永九年(一四〇二)九月に再建し中興開山となった。時の開基は小田切の新井氏といわれる。弘化四年の震災で荒廃、古文書類などを流失したが本堂は残った。現本堂は安政四年(一八五七)の再建、庫裏は昭和十年に新築、観音像は昭和六十二年に造立された。戸隠行勝院の寺器や正徳(しょうとく)三年(一七一三)に山崎氏から寄進された半鐘などがある。庭の青松は推定六〇〇年という。


写真6 円成寺本堂 手前は樹齢600年という松

 浄蓮寺 浄土真宗本願寺派 四ッ屋 ①本尊 阿弥陀如来 ②山号 報恩山 ③由緒 開基は小県郡袮津(東部町)の祢津貞直の弟時直で、建久(けんきゅう)三年(一一九二)笠置寺(かさぎでら)(京都笠置山にある真言宗の寺)で貞慶(じょうけい)の法弟となり正願(しょうがん)と号した。建暦(けんりゃく)二年(一二一二)親鸞が善光寺参詣のおりに帰依し、敬仏と名を改め水内郡往生地に一宇を創建し報恩道場浄蓮寺と名づけた。これが浄蓮寺のはじまりである。本寺は滋野系浄土真宗寺院の白鳥十ヵ寺の一寺である。江戸時代現在地に移った。文政七年(一八二四)十一月火災にあい、さらに弘化震災に難をうけたが搬出可能の寺宝は救出されている。親鸞の十字名号軸、武田家の朱印状などがある。嘉永五年(一八五二)に仮本堂兼庫裏を建て、明治二十年には本堂を再建した。平成四年庫裏を修築し現在にいたっている。


写真7 浄蓮寺

 阿弥陀堂(薬師堂) 無住 今里阿弥陀堂 ①本尊 薬師如来立像 ③由緒 かつて庵主(あんじゅ)(尼僧)が堂守りをしていたが、現在は阿弥陀堂の人びとによって守られている。本尊の薬師如来立像は、鎌倉時代の特色をもっているといわれる。毎月七日には「お七日」といって薬師堂の掃除をおこない、本尊に参拝する行事が阿弥陀堂の伝統として引きつがれている。