三 嘉永三年の小作騒動

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 嘉永三年(一八五〇)十一月、当時上氷鉋村の約七割にあたる小作人一〇八人が地主数人を相手に小作料の加納(値下げ)を地頭役所へ訴え出、ついには幕府寺社奉行所までいった。小作騒動は弘化四年(一八四七)震災のときの犀川大洪水による荒地の増加などによって起きた。塩崎陣屋は罹災農民救済措置として同年の上氷鉋村の年貢を免除し、さらには田畑に堆積(たいせき)した土砂の厚薄による年貢減免の期限を決めた。しかし、小作人たちは領主の年貢減免が小作料減額に反映されず不当であると地主と交渉したが、「言い分があるなら小作地を取りあげる」と小作人たちの要求をきこうとしない。このような地主たちの取り締まりをしてほしいと訴えた。最後まで争った地主の半兵衛と小作人双方の主張をきいた幕府(寺社奉行)は左記のような和解案(『上氷鉋誌』)を示し、双方が勧告を承諾して事件は決着した。この小作騒動の結果は、その後小作料率などを決めるさいに地主・小作人・村役人の合意で定める慣行を成立させた。

 ①半兵衛所持地の小作籾(もみ)(料)は一反につき籾四俵と取りきめる。②右のように取りきめたうえは、今までどおり地所の上下にかかわらず今般取りきめたように小作入り籾未進がないようにする。③小作籾の未納がある節は、地主方で自由に小作人から地所を引きあげる。④小作籾高が過分である籾は、小作人方へ割り返し、未納の分は地主方が受けとる。⑤小作証文は帰村のうえ、地主方へ小作人より相違なく差しだす。年貢受取証はそのつど差しだす。