国鉄信越本線は明治二十一年(一八八八)に直江津-軽井沢間が開通し、同二十六年に全線が開通した。
明治四十四年五月に長野-篠ノ井の輸送力増強のため、現川中島駅地に列車の行き違いができる犀川信号所が設置された。しかし、地元民にとって駅ではないため列車は止まるが利用できない。そのため何とか駅をつくってほしいと同年一月期成同盟会(四ッ屋有志)を組織し、大正元年(一九一二)十月には笹井村をあげて駅設置の運動に取りくんだ。同三年十一月の停車場設置委員・村会議員などの合同大会で、一部から延期説が出たがけっきょく駅設置を一決し、隣接一八ヵ村の賛助を得て一致協力して推しすすめることになった。同四年四月地元民が駅敷地として三千二百余坪を寄付することを決めたため、鉄道院は事業推進を決定した。その後も駅開設に向け幾多の困難を乗り越えた末、大正六年七月二十日、総坪六千四百余坪の川中島駅が開設された。