開業当時の列車運転回数は信越線上下各一本、篠ノ井線が六本で、いずれも貨客混合列車で客車は二両ほどだった。長野駅まで所要時間は一五分、長野・篠ノ井ともに片道八銭であった。乗車客数は大正六年約六万、昭和十年(一九三五)約一〇万二〇〇〇、同二十三年約七三万七〇〇〇、同五十年約七〇万三〇〇〇、同六十年約六〇万三〇〇〇、平成九年(一九九七)約七五万であった。昭和二十三年の数は鉄道が唯一の交通手段であった戦後社会を反映し、ピークは平成四年の八一万であった。昭和三十九年の定期客と定期客外の比率は、二・五対一である。川中島駅はその後も定期客が主体で、昭和五十年~平成九年の各年とも定期客の割合が六二パーセントから七一パーセントに達している。定期客が圧倒的に多いのは川中島駅の特徴である。
開駅当初から発送貨物の主なものであった陶土(安茂里)・砂利(犀川)は、昭和十五年ころまで全輸送量の五〇パーセントを占め、ほかに果物・野菜・繭・麦・大豆などだった。それ以降小麦粉・果物(リンゴ)・野菜・麦などが増加し、同四十九年ころの駅記録によると清酒・焼酎(しょうちゅう)・煙草なども加わり一日平均二両ほどだった。到着貨物は肥料・木材・セメントなど農業生産・土木工事の原材料が多い。現在駅に停車する列車は、しなの鉄道が長野駅から上田・小諸・軽井沢駅までの運行で上り四二本・下り四一本、中央線が長野駅から松本駅まで上り一七本・下り一五本運行されている。駅前広場の機能を近代化するための整備事業は、平成十一年七月に完成した。