昭和二十年九月二十一日(金)の午前十一時ころ、犀川(さいがわ)右岸小市橋近くの土手に積んであった機雷が爆発した。ものすごい音が川中島平一円に響きわたり人びとはいっせいに外へ飛びだした。この爆発で小市・西河原・四ッ屋・上氷鉋などでは家屋の窓ガラスが割れ、屋根瓦(がわら)は落ち、障子や神棚などが倒れた。被害は一〇〇〇戸余におよんだ。中島では破片で牛が死んだ。川中島小学校では窓ガラス九〇〇枚、入り口や窓の戸、教室の天井などが破損した。『安茂里史』によると、この機雷はアメリカ軍が直江津港封鎖のために投下したもので、日本軍が引きあげ当地に運び、雷管をぬきとって積んでおいたものだという。