昭和十三年ころの商工業者は二六軒あった。おおかたは、川中島駅周辺(一五軒)と二枚橋(六軒)に集中している。販売種目は衣・食(生鮮)・雑貨や米穀・肥料・建材など農家の生産材や生活必需品が大部分で、ほかに運送業・料理業・自転車業などがあった(『長野県商工名鑑』)。同二十六年ころの事業所は一四八。内訳は卸・小売業六二、サービス業五一、製造業一九、建設業一三、公益事業三である。すべて規模は四九人以下で、従業者総数は六八五人である。同年の総工場数は二〇で、食料品九、製材一、衣服一、身回り品五、輸送用設備二など。従業者数は合わせて四四四人である(「川中島村村勢要覧」)。平成八年の事業総数は、昭和二十六年の約二・二倍にのび、種別も運輸通信業・金融保険業・不動産業が増した。しかし、同五十六年ころ八一店だった卸・小売業・飲食業は平成九年には六五店に減少した。この減少は、旧国道一八号沿線に進出してきた量販店・スーパー・専門店などの影響によると考えられる。