旧更級(さらしな)郡の北部、犀川(さいがわ)の右岸にある。松代藩領時代には川中島通(どおり)に属していたが、その北端にあたる。北は犀川をへだてて安茂里、荒木(芹田)、若里(同)に、東は真島(ましま)町に、南は稲里(いなさと)町下氷鉋(しもひがの)・小島田(おしまだ)町、西は川中島町上(かみ)氷鉋・四ッ屋などに接する。もともと水害を受けやすい地であったが、近世初期、裾花(すそばな)川の流路が変更されて青木島に向かって直接流入してくるので、犀川が南に押され、いっそう洪水にあいやすくなった。犀川の渡し場にあたっていたので、北国(ほっこく)街道の宿場として丹波島(たんばじま)宿ができ、松代と善光寺の中間の宿の役割も兼ねて、交通の要地となった。
丹波島橋と長野大橋の二つの橋で市の中心部と結ばれている。平坦(へいたん)な沖積地(ちゅうせきち)で、肥沃(ひよく)な二毛作地帯であるが、急激に都市化している。山林はほとんどなく、保科(若穂)に四・七三ヘクタールの共有地をもつ。昭和二十五年(一九五〇)には世帯数九三五のうち農家は五七八で、六二パーセントを占めていたが、平成七年(一九九五)には世帯数四八八〇のうち農家は一一一で、二・三パーセント、専業農家は一二世帯にすぎない。標高は三五一メートル(青木島小学校)、面積一七平方キロメートル。