古代の東山道には越後国に通じる支道があり、『延喜式』によれば、麻績・曰理(わたり)・多古(たこ)・沼辺(ぬのへ)といった宿駅があった。これらの駅には馬が五匹ずつ常備されていて、役人の通行に用いられていた。このうちの曰理駅は、諸説があるが、丹波島付近にあったとされている。詳細な位置は不明であるが、曰理という名からして、犀川の渡し場であったことは間違いない。綱島にも渡し場があったという。
犀川の対岸の若里地区からは、「市寸」と書かれた奈良時代の土器が出土している。この付近には古くから渡し場があり、市も立ったのだろう。