『仏導寺縁起』によれば、文治(ぶんじ)四年(一一八八)熊谷直実(なおざね)の娘玉鶴姫は、善光寺に参詣しようと綱島渡しを渡り、市村(芹田)で病没したという。長享二年の『春秋之宮造宮之次第』には、「縄島(つなじま)」と書かれている。ここを本拠とした武士に綱島氏があった。子孫は上杉家に仕え、米沢藩士となった。
綱島郷
『仏導寺縁起』によれば、文治(ぶんじ)四年(一一八八)熊谷直実(なおざね)の娘玉鶴姫は、善光寺に参詣しようと綱島渡しを渡り、市村(芹田)で病没したという。長享二年の『春秋之宮造宮之次第』には、「縄島(つなじま)」と書かれている。ここを本拠とした武士に綱島氏があった。子孫は上杉家に仕え、米沢藩士となった。