丹生(たんしょう)寺 浄土宗 丹波島 ①本尊 阿弥陀如来(あみだにょらい) ②山号 一法山 ③由緒 延徳(えんとく)二年(一四九〇)生誉海底(しょうよかいてい)が開山となって創建された。丹波島宿成立以前からあった古寺である。江戸時代の初期に丹波島宿が設置されたとき、宿場中央南側の現在地に移動したらしい。元禄三年(一六九〇)に没した順誉故山(じゅんよこさん)が本堂を再建し、中興となった。丹波島の宿場には、この寺の檀家でない家もあるが、すべてこの寺に墓地を設けている。宿場の寺であるため境内には馬頭(ばとう)観音の石像がある。明治七年(一八七四)明衷(めいちゅう)学校(青木島小学校の前身)が置かれた。
金光(こんこう)寺 真言宗 青木島 ①本尊 薬師如来(やくしにょらい) ②山号 日輪山 ③由緒 はじめ善光寺東之門に建てられ、金光山日輪寺、空照院、薬師房などと称したという。寛正(かんしょう)年間(一四六〇~六六)に尊弘により川中島今里に移され、金光寺となった。天文(てんぶん)年間(一五三二~五五)に水害にあって小市に移り、天正(てんしょう)八年(一五八〇)に成純(せいじゅん)によって現在地に再建された。この地は仁観寺の跡だという。
長徳寺 浄土宗 大塚宿 ①本尊 阿弥陀如来 ②山号 城住山 ③由緒 もと町田氏の大堀館内にあり、川中島合戦によって壊滅したという。その後元亀(げんき)元年(一五七〇)に創建されたと伝える。開山は城誉旭翁(じょうよきょくおう)、開基は白誉善生道空である。一一世洽誉(こうよ)は、宝暦(ほうれき)十三年(一七六三)堂宇を再建し、中興開山となった。一二世浣誉団察(かんよだんさつ)は、安永四年(一七七五)虚空蔵菩薩(こくぞうぼさつ)を安置した。明治七年(一八七四)には青木島小学校の前身知達学校が置かれた。町田兵庫正之の墓がある。
安養寺 浄土宗 大塚南組 ①本尊 阿弥陀如来 ②山号 蓮照山 ③由緒 永禄(えいろく)十年(一五六七)増上寺一〇世の感誉存貞(かんよぞんてい)が開山となって、綱島に創建された。天明七年(一七八七)洪水によって流亡し、大塚の現在地に移動した。釈迦涅槃(しゃかねはん)像を安置、りっぱな当麻曼陀羅(たいままんだら)所蔵。
不動寺 真言宗 大塚不動寺 ①本尊 不動明王 ②山号 降魔山 ③由緒 文亀元年(一五〇一)に祐尊(ゆうそん)により開山された。祐尊(赤松満村)は南北朝期の播磨(はりま)(兵庫県)の武将赤松則村(のりむら)の子孫で、高野山から善光寺に参詣し、飯綱山にこもって断食修行中に地蔵菩薩のお告げを受け、当寺を建立したという。本尊は鎌倉時代前期の不動明王で、祐尊が高野山から勧請(かんじょう)したものと伝える。