近世初期に五一一石余。『元禄郷帳』五一七石余。慶長十六年(一六一一)丹波島宿ができ、三〇〇石が丹波島村分になり住民の大部分は宿へ移って、青木島は戸数わずかに一六軒、人口七六人(安政三年、一八五六)にすぎず、耕地も大部分が荒れ地だった。しかしあくまで本村という資格で村名はつづいた。古代の曰理(わたり)駅の地ともいわれる。善光寺からまっすぐに南へ通ずる地にあり、古来から要地だったのだろう。明治八年(一八七五)にも戸数二〇戸、人口七八人にすぎなかったが、同年丹波島村と合併し、戸数一八〇戸、人口八五九人に増加した。諏訪神社、金光寺がある。