明治八年(一八七五)、青木島・丹波島両村が合併。明治二十二年、青木島・大塚・綱島の三村が合併して青木島村が成立した。大塚村は青木島村と合併するのを嫌って、綱島村とだけの合併を希望したが、県は命令で三村を合併した。明治二十四年の戸数三九五戸、人口二二〇八人。水車場七、船三〇があった。昭和十年(一九三五)に五六〇戸、二八二四人であまり増えなかったが、更北村の一部になった昭和三十年には七五〇世帯、三九五一人になった。同三十七年から五十年にかけて土地区画整理事業や団地造成がさかんにおこなわれ、人口は明治初期のおよそ一〇倍、平成十一年(一九九九)十月現在五二五九世帯、一万四九九九人に達している。