松代騒動

707 ~ 708

明治三年(一八七〇)十一月二十五日夕、上山田村で起こった百姓一揆は、二十六日には松代町と善光寺町を荒らし、一部のものは丹波島宿茶屋小松屋助右衛門方へ押しいって乱暴した。大豆島(まめじま)の某は問屋柳島市郎右衛門方へ押しこみ捕らえられたが、親や三役人があやまりにきたので引きわたした。しかし二十七日暁には一揆はふたたび丹波島へ押しよせ、本陣柳島喜代三、問屋柳島市郎右衛門、組頭長谷部伊右衛門(のち改名して連)などへ乱入した。本陣はもっとも被害が大きく、槍(やり)四筋、長刀二振、大小四組、脇差六本など武具類や、拝領紋付も盗まれ、そのほか、家財道具大部分が庭へもちだされて焼かれてしまった。

 長谷部はとくに金がねらわれたらしく、一六二両も盗まれた。また夜具四三枚、家具五〇人前なども被害をうけており、この家は旅籠(はたご)を営んでいたらしい。長谷部は佐久間象山の門人で、明治十二年から十八年まで青木島村戸長をつとめ、また久保寺村との地争いを青木島の勝利に導いた功労者でもあった。