明治十三年(一八八〇)の『村史』によると、この地区の農業の特色はつぎのとおりであった。まず、米は青木島一二五〇石(うち二〇〇石販売)、大塚一四五〇石(上等、五〇〇石、松代・長野等へ販売)、綱島(中等、自用に不足)。大塚は上等の米を産し、三分の一を販売しており、青木島も余裕があり、綱島だけが不足していた。
丹波島では菜種七五石、実綿五七〇貫を販売していた。大塚でも菜種一七八石を隣村油絞(あぶらしめ)に販売、綿二五〇〇貫(うち四〇〇貫は長野へ販売)を産した。長野は木綿・菜種の集散地だった。綱島では甘藷(かんしょ)二〇〇貫を長野へ販売していた。