明治五年、丹波島ほか一六村を通学区とする日進学校ができ、同七年青木島が分離して、明衷(めいちゅう)学校ができ、丹生寺を校舎とした。同年、大塚・綱島を学区とする知達(ちたつ)学校ができ、大塚の長徳寺を校舎とした。この年を青木島小学校の開校年と数えている。明治二十五年、知達・明衷両校が合併して大塚尋常小学校となり現在地(大塚大北(おおきた))に校舎を新築した。明治三十七年、青木島尋常高等小学校となった。昭和十六年国民学校となり、同二十二年、青木島小学校と改称、地域人口の急増により、一時児童数一三〇〇人をこす大規模校になった。同五十四年改築、平成五年(一九九三)、開校百二十年記念行事をおこなった。同年四月、丹波島地区に三本柳小学校が市内五〇番目の小学校として開校、丹波島地区・青木島地区の各一部の児童は新設校に移り、青木島小学校は平成四年一一三四人から同五年七八七人となった。