昭和二十二年、六三制発足とともに青木島・真島・下氷鉋(稲里・小島田組合立)の三中学校ができた。同二十六年、四ヵ村組合立更北(こうほく)中学校が大塚館跡に開校した。「大堀山」約一二〇〇坪をもとに、付近の地をあわせ、しだいに校地を拡張した。最初の卒業式・入学式は大堀山でおこなわれた。弘治元年(一五五五)武田信玄が本陣を置いた大堀館跡である。クラブ活動の活発なことで有名になった。昭和四十年には吹奏楽と女子水泳が県下第一位になり、同四十五年の市内中学校陸上競技大会では四種目で優勝した。平成七年、稲里町田牧に広徳(こうとく)中学校ができ稲里・小島田地区の一部生徒が移った。