青木島地区の人口は明治元年(一八六八)と比べほぼ一〇倍に増えている。明治元年を一とすると、青木島村のできた同二十二年には一・三、更北村の一部になった昭和三十年(一九五五)には二・五、長野市に合併した同四十一年は三・七、平成十一年(一九九九)には九・六である(第一節四参照)。長野市に合併する前後から急増している。昭和四十年代に大塚四十二石に県営青木島団地が、青木島乙の五十里(いかり)に県企業局造成の団地ができ、つづいて大塚団地・久保大塚団地・大塚ニュータウンなどが続々誕生した。同六十二年には、青木島から川中島町・稲里町にまたがる四八ヘクタールの大団地が三本柳土地区画整理組合によって造成され、人口増は今もつづいている。