市中心部への出入り口

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昭和四十四年綱島に長野大橋ができ、五十七年に国道一八号バイパス(現一八号)が完成すると、その沿線に自動車関係の事業所が軒を並べるようになった。昭和四十五年の長野大橋の一日の通過自動車は九九五三台だったが、国道一八号開通後の同六十一年には三万七二〇八台と三・七倍に増えている。


写真14 長野大橋 手前は更北運動場

 長野旧市部に通じる橋は犀川に二つ、千曲川に三つ、裾花川に三つある。交通量の一位はもちろん長野大橋、二位は丹波島橋、三位は屋島橋である。平成十年の調査では、午前七時から九時までの二時間の通過自動車は、長野大橋九七四六台、丹波島橋六一四一台で、市中心部への車の三分の一はこの両橋を通る。つまり青木島地区は旧市内への最重要な入り口、出口である。

 事業所(従業員)数は昭和五十五年、三五六事業所(二九二二人)だったが、一〇年後の平成三年には六五七事業所(五八二三人)とほぼ倍増している。従業員の最大の業種は卸・小売・飲食店の二二六〇人、二位はサービス業の一一七二人、この二業種を足すと、全従業員の約六〇パーセントに達する。青木島地区には大企業がなく、ほとんどが中小業者である。しかし人口の増加、交通網の整備につれて年々発展をつづけている。