小島田村は、寛文(かんぶん)年間(一六六一~七三)に上小島田村と下小島田村に分村して以来、そのまま明治四年(一八七一)の廃藩置県(はいはんちけん)を迎えた。同五年戸籍法が施行されると上小島田村と下小島田村は第三七区に所属した。同七年戸籍法が改正され、大小区制が施行されると両村は、北第一六大区第六小区となり、同八年両村は合併して小島田村となった。この合併について同年五月、「二ヵ村は、耕地が混淆(こんこう)し、また、飛び地などもあって一ヵ村の姿をなしている。合併してこれまでの村名を廃して小島田村と改称したい」と県に願いでている。しかし、この願いはいったんは不許可になったが、その後、許可されて小島田村となった。