明治二十二年小島田村のうち、釜屋(かまや)組・荒屋組は分村して埴科郡寺尾村へ編入された。この分村は、市制・町村制の実施にさいしなされたものである。県の町村合併計画にしたがい、同二十一年、郡長から小島田、牧島の両村を合併し、一村とする合併案が両村に示された。これにたいして小島田村には異議はなかった。しかし、牧島村は千曲川の右岸に位置し、小島田村よりも埴科郡柴村および上高井郡大室(おおむろ)村との関係がより密接である。小島田村と合併しても千曲川がそのあいだにあって不便であり、円滑な村政の運営が期待できないなどのことから、交流の深い埴科郡柴村、東寺尾村、上高井郡大室村および、小島田村のうち飛び地となっている釜屋組・荒屋組の四ヵ村二組をもって一村としたい旨の答申がなされた。小島田村からも釜屋・荒屋の分割について異議がない旨の回答がなされ、同年四月一日より小島田村は釜屋組・荒屋組を埴科郡寺尾村へ分割した。現今の松代町小島田は、小島田村から分村した大字名である。