頤気郷

735 ~ 736

『和名抄(わみょうしょう)』記載の「頤気郷」は高山寺本に「池(いけ)郷」と記して「以計(いけ)」と訓じている。また、流布本は「以介(いけ)」と訓じる。この郷域について『信濃地名考』は「池郷、順気に作るも同じ、いま池の地名二つ、方言に野池・山池と呼べり、野池の方にやといふ、尋ぬるべし」とし、稲里町野池あたりを中心とした地域に擬している。また、『日本地理志料』も「池の郷は今二区となす、野池といふ、山池といふ」とし、稲里町野池を中心とした川中島地方の千曲川沿岸地方全部と、犀川下流の沿岸を郷域にあてている。

 『延喜式(えんぎしき)』神名帳(じんみょうちょう)記載の「頤気(いき)神社」は、小島田地区の花立沖に接した頤気(いき)沖地籍にある頤気神社と推定されている。祭神は池生命(いけぶのみこと)で、この神は頤気郷の氏神という。古代の郷名が、こんにちも「頤気」という集落名や、地籍名に継承されていることなどから「頤気郷」は、小島田を中心とした千曲川沿岸の西寺尾・真島が郷域とも考えられる。