八幡原史跡公園を中心とした地域が、永禄四年九月十日の激戦場になったところという。八幡原はこのとき、武田信玄が本陣を設けた場所と伝えている。付近には、首塚・本陣跡・一騎討ち跡(八幡社地)など合戦を伝える史跡や伝承が豊富である。八幡原の激戦のとき、信玄が本陣を設けたために社殿が破壊された。そこで信玄は海津城代高坂弾正に命じて宮社を再建させ、社領として一町歩(約一ヘクタール)の土地を寄進した(「八幡社由緒書」)。明和二年(一七六五)上小島田村検地帳に「八幡社地拾五間・弐拾弐間、壱反弐畝歩、村中。八幡原七拾五間・三拾三間、八反壱畝拾弐歩、村中」とある。社地をふくめ八幡社周辺の約一ヘクタールの土地を村人は「八幡原」とよんでいた。