明治三年(一八七〇)の松代騒動は、小島田村も川中島地方の村々と同じく、自警団を組織して騒動参加者が村内に乱入するのに備えた。三月二十六日に川北通りの騒動参加者によって、小島田村の穀屋が破壊され、戸障子や家財が焼かれたと村役人は藩へ被害届を出している。二十七日に戸部村から御幣(おんべ)川あたりに火の手がみえる。暴徒がしだいに隣村へ押し寄せてくるようだとの通報で、小島田村の自警団も白鉢巻きをして戸部法蔵寺に参集した(上布施文書)。二十八日には上小島田村の農民が騒動に参加して乱暴を働いたということで逮捕され、村預けになった。騒動が一段落した翌年一月、下小島田村の農民が松代で打ちこわし・放火に加わった罪で七〇敲(たた)きの刑に処せられた。また、上小島田村の商人は偽金札使用の嫌疑で取り調べられた。その調書には、「二五両で偽官札五〇両を見知らぬ者から買い、商いの支払いに使ったが、受け取りを拒否されて丸損になった」と記されている(『北信郷土叢書』)。