三 災害

753 ~ 754

 小島田町の行政区は明治初期までの上小島田村が甲区、下小島田が乙区となっている。乙区には花立・紙屋・中組・中村・中沢の五集落がある。いずれも千曲川に翻弄(ほんろう)された歴史をもつ集落である。寛保(かんぽう)二年(一七四二)の千曲川大洪水で流亡したという鶴巻・小犀川の住民は、水難を避けて新しい集落、紙屋を創設したり、あるいは中組・中村に移住した。これらの住民の氏神は、下鶴巻にあった桜田神社である。桜田神社は千曲川新堤によって大正八年(一九一九)に現在地に移転した。紙屋組全戸が桜田神社の氏子になっていたり、中村・中組が頤気(いき)神社と桜田神社との氏子に分かれているのはこうした関係による。花立も新堤により堤外地となった一四戸が、頤気沖地籍に移転した。これらの集落の農家は堤外地に耕地が多く、千曲川の洪水に苦しんだ。その現況を「長雨に悩み、春秋千曲川洪水の時は、水が溢れて堤防を崩し、耕地が流亡するので艱難(かんなん)が多い」と村は県に報告している。