明治の文芸運動

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明治中ごろになると、沈滞した文芸活動にあきたらない青年たちによる文芸活動が興った。伊藤駒三郎・高橋桑造・伊藤源太郎・伊藤益尾・小林友治らは、文学サークル小島田青年団を組織し、川中島地方の文学愛好青年に呼びかけ、明治三十六年「川中島青年会」を創立した。青年会は「地方青年相互の文学上における知識を交換し、勉めて青年の悪弊を矯正(きょうせい)する」目的で「政治的論文以外の文章・詩歌・俳句など随時投稿をする」ことを会員に義務づけている。そして会員雑誌『川中嶋』を発刊した。小島田青年会の幹部は、下小島田の文学愛好青年たちで占められていた。かれらはいずれも倉田龍馬の薫陶(くんとう)をうけた青年たちで、倉田の指導によって小島田青年会は組織された。倉田龍馬は小島田村戸長から引きつづいて初代村長となった。多忙な職務のかたわら夜学会を開いて青年たちに漢籍を教授し、新しい明治に生きる青年を啓蒙(けいもう)した。日清・日露戦争後、倉田龍馬などによって啓発された青年たちの文化活動は、昭和へと受け継がれた。田口達夫は同人誌『沼』を発行し、田口貞や中村重光は戦後も歌壇で活躍した。中村は「いわひば」の主要同人で、合同歌集『勤労』『交層』に集録されており、俳句・俳画も得意とした。