戦後の文芸活動

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太平洋戦争後は、とくに革新系村長の倉田一(はじめ)、佐藤脩雄(みちお)や小島田公民館長高橋伝造(でんぞう)、真島の歌人中沢尚らによって啓発された婦人層が、農村文化の担い手となって活躍した。倉田一は文化的村創(づく)りとして公民館の役割を重視し、昭和二十四年(一九四九)県下に先駆けて独立公民館を新築し、館長に高橋伝造を迎えた。高橋伝造は、公民館に図書室を設置して読書会を指導し、村民の知識向上をはかった。また、婦人や青年に同好会の組織を勧め、それを支援した。高橋は郷土史家としても知られ、著書に『北信濃の歴史』がある。

 小島田婦人の短歌同好会「こぶしの会」も公民館活動のなかから生まれ、真島の中沢尚が指導した。小島田「こぶしの会」は、会員の労作一人五〇首を選定し、昭和五十二年歌集『こぶしの花』を刊行した。荒川てる・伊藤静子・同きみ子・同房子・太田小春・岡沢みち・小林み津子・斉藤志ん・佐藤あき江・清水威子(たけこ)・杉山せつ・高橋きよ・田中すみえ・馬場光代・東山ふみ子・堀志げる・松井信子・和歌月静江らの短歌が集録された。とくに和歌月静江はアララギ派の歌人で「減反の休耕決めしれんげ田に幼ら遊ぶ花を束ねて」と詠んだ短歌が『昭和万葉集』(講談社刊)に集録された。杉山せつはヒムロ・アララギの同人で『杉山せつ歌集』を出している。

 農村婦人の文化活動とあいまって、創作活動もさかんになり、田口畑治の『おんぼろ車の運転手さん』、相沢真一郎の『土塊(つちくれ)』、荒井伊左夫の『信州の空模様』、荒井忠夫の『信濃の伝説』『更北伝説32』などの著書があいついで出版された。