小島田地区では日中戦争で二人、太平洋戦争で四六人が戦死し(『市戦没者遺族名簿』)、昭和二十一年(一九四六)八月までに六八入が復員した。また、海外から小島田村へ引き揚げてきたものは、一五家族五一人・単身六人で、多くは満州・朝鮮からであった。また、二五家族九三人が都会で戦災をうけ、親類や知り合いを頼って転入したまま戦後も生活していた(昭和二十二年度小島田村役場文書)。
一 戦争に寄せた村人の思い
小島田地区では日中戦争で二人、太平洋戦争で四六人が戦死し(『市戦没者遺族名簿』)、昭和二十一年(一九四六)八月までに六八入が復員した。また、海外から小島田村へ引き揚げてきたものは、一五家族五一人・単身六人で、多くは満州・朝鮮からであった。また、二五家族九三人が都会で戦災をうけ、親類や知り合いを頼って転入したまま戦後も生活していた(昭和二十二年度小島田村役場文書)。