農地解放は農村の民主化を促進させ、農民の生産意欲を高めた。昭和二十二年(一九四七)小島田村では全耕地一七二ヘクタール余の四六パーセント、六一ヘクタール余が小作地であった。畑地の小作率三四パーセントにくらべ水田の小作率は高く、水田面積一一一ヘクタール余の四二パーセントは小作地であった。また、農家総数二七二戸のうち自作農五六戸・小作農五五戸、残りが自小作農・小自作農となっている(昭和二十三年『県統計書』)。農地解放では九〇ヘクタールほどの農地が開放された。農地解放が一段落した昭和二十五年には、全耕地一七〇ヘクタール余のうち、一四七ヘクタールが自作地となった。これは全耕地の八六パーセントにあたる。この結果、農家二七四戸のうち、自作農一五八戸・自小作農九八戸・小自作農三戸・小作農一五戸となった。