昭和四十一年(一九六六)の長野市合併以降、平成十一年(一九九九)十月までに更北地区でも市域の発展、拡散にしたがって、人口は青木島地区では三倍、稲里地区では二倍に増加した。しかし、小島田地区ではわずか八パーセント微増したにすぎない。市街地は小島田地区を取り残したように拡大、拡散していった。
三 新しい地域作りへの課題
昭和四十一年(一九六六)の長野市合併以降、平成十一年(一九九九)十月までに更北地区でも市域の発展、拡散にしたがって、人口は青木島地区では三倍、稲里地区では二倍に増加した。しかし、小島田地区ではわずか八パーセント微増したにすぎない。市街地は小島田地区を取り残したように拡大、拡散していった。