稲里地区は、犀川(さいがわ)扇状地の中央部に位置する。標高三五九メートル(久津町)から三五二メートル(広徳)で、ほとんど平坦(へいたん)である。総体的には、北西から南東の方向にかけて、標高差七メートルほどの緩やかな傾斜をなしている。北は青木島町青木島・丹波島、南は篠ノ井東福寺、西は川中島町上氷鉋(かみひがの)・御厨(みくりや)、東は青木島町大塚・小島田(おしまだ)町・篠ノ井西寺尾と接している。この地域は南北に長い矩形であるが、北部にくらべ南部はやや狭くなっている。
犀川の運んだ肥沃(ひよく)な土壌で、昭和三十年代ころまでは、米麦の二毛作を基幹とした養蚕のさかんな純農村地帯であった。戦後は、リンゴ・たまねぎ・レタスなどの換金作物が栽培されてきたが、稲作中心の農村地帯であった。昭和四十一年(一九六六)長野市合併以降は、既設道路の拡幅整備、新設などが積極的におこなわれ、旧市街に近接したこの地区を近郊住宅・商業地として変貌(へんぼう)させた。
地区内には、整備改修された既設の道路が井桁(いげた)状に通じている。南北には主要地方道長野上田線(旧国道一八号)や主要地方道長野真田線が、また、東西には県道川合川中島線と県道関崎川中島停車場線が通じている。さらに昭和五十五年、南部には国道一八号が、長野冬季オリンピック大会に関連して、南部に市道今井田牧線、中央部に国道一九号南バイパスが平成九年(一九九七)に開通した。この恵まれた立地を生かした土地区画整理事業も各地でおこなわれた。そのなかでも、国道一九号南バイパスが通る稲里中央区画地帯には大型量販店が出店して、新しい街並みが形成された。犀南(さいなみ)・伊勢宮・陣場・広田・田牧・稲里などは、区画整理事業の結果生まれた住宅団地である。地区の発展にともない行政区(大字)も稲里町を冠した従来の田牧・中氷鉋・下氷鉋に加え、稲里町広田・稲里一丁目・下氷鉋一丁目・三本柳東三丁目の新しい行政区が生まれた。
長野南高校・下氷鉋小学校や、氷鉋老人福祉センター・「ケアハウスいなさと」などの高齢者福祉施設、長野日本無線(株)などがある。面積四・一五平方キロメートル、標高三五二メートル(旧稲里村役場跡)、世帯数三二九四・人口九四九六(平成十一年十月現在)。