明治二十二年(一八八九)、市制・町村制の施行により田牧村・中氷鉋村・下氷鉋村は合併して稲里村となった。この合併は、県の三ヵ村合併計画案にしたがっておこなわれた。新村名は「稲が豊かに実る里」という新しい村創りの理念から「稲里村」とし、田牧・中氷鉋・下氷鉋の旧村名は大字として継承した。
市制・町村制の施行
明治二十二年(一八八九)、市制・町村制の施行により田牧村・中氷鉋村・下氷鉋村は合併して稲里村となった。この合併は、県の三ヵ村合併計画案にしたがっておこなわれた。新村名は「稲が豊かに実る里」という新しい村創りの理念から「稲里村」とし、田牧・中氷鉋・下氷鉋の旧村名は大字として継承した。