『和名抄(わみょうしょう)』に信濃六三郷の一つとして、氷鉋(ひかな)郷がみえる。「比加奈」の訓がついているので、「ヒガノ」は古代「ヒカナ」といっていたと考えられる。『町村誌』によると、上氷鉋、中氷鉋、青木島、綱島などが氷鉋郷に属していたとある。長享(ちょうきょう)二年(一四八八)諏訪下社の『春秋之宮造宮之次第』に「御瑞籬(みずがき)四十三間の内二間、氷鉋」とある。また、永禄(えいろく)十年(一五六七)の武田信玄宛行(あてがい)状に「比賀野郷内、三百貫文」とある。また、元亀(げんき)三年(一五七二)の「唯念寺門徒誓詞案」には「信州川中嶋氷鉋村唯念寺門徒」(「唯念寺文書」)とあって、川中島町の上氷鉋も「氷鉋」となっていることから、中世のころまで「氷鉋」は一郷であったと考えられる。文禄(ぶんろく)四年(一五九五)豊臣秀吉は、増田長盛(ましたながもり)に命じて川中島地方の検地を実施させた。このときの検地帳に『信濃国更級郡川中嶋内中氷鉋村・下氷鉋村御検地帳』(青木家文書)と表書きされているので、氷鉋郷は太閤検地がおこなわれる少し前のころに三等分され、上流から上氷鉋、中氷鉋、下氷鉋の三ヵ村に分かれたものと思われる。元和(げんな)八年(一六二二)以後、上氷鉋村・中氷鉋村は上田領、下氷鉋村は松代領に分かれた。
「ヒガノ」の地名は、下氷鉋の氷鉋斗売(とめ)神社の祭神、宇津志日金柝命(うつしひがなさくのみこと)の御名「ヒカナ」に由来するという説が一般的である。『古代地名語源辞典』には「ヒ」は「樋」で、川のこと。あるいは「ひどろ」の「ヒ」で、湿地のこと。「カナ」は「かなどろ」の「カナ」で湿地、または「力」は「川」の約。「ナ」は土地につく接尾語とある。語源から推測すると「ヒカナ」は「川の流れている湿地帯」という地形に由来したものだろうか。