二 郷と荘園

777 ~ 778

 稲里地区は古代、北部は氷鉋(ひがの)郷、南部は斗女(とめ)郷に属した地域と伝えられている。この両郷はいずれも『和名抄』記載の更級郡九郷の一つである。

 氷鉋郷は、氷鉋斗売(とめ)神社の祭神「宇津志日金柝命(うつしひがなさくのみこと)」とゆかりの深い郷で、郷名は神名の「日金(ひがな)」に由来するという(『町村誌』)。日金柝命について『古事記』に「綿津見(わたつみ)神は、安曇連(あずみのむらじ)などが祖先の神として仕えている神である。すなわち、安曇連などは、この綿津見神の子である宇津志日金柝命の子孫にあたる」とある。このことから氷鉋郷は日金柝命を祖神として奉斎する安曇氏によって成立した郷という考え方が一般的で、これが地名「ヒガノ」の神名由来説の根拠ともなっている。氷鉋斗売神社は中世までは、近郷一七ヵ村の郷社で、このうち七ヵ村は氷鉋郷、一〇ヵ村は斗女郷と称した(『町村誌』)。

 郷域については『日本地理志料』は上氷鉋・中氷鉋・下氷鉋の三ヵ村を中心として、丹波島・青木島・田牧・南原・北原・今井・四ッ屋・岡田の諸村としている。『更埴地方誌』は、犀川南岸に上・中・下の氷鉋の三地区が並立しているのは、氷鉋郷が三地区にわたるものとし、川中島の北部から、池郷の西部にかけた犀川の南岸に帯状に存在した郷としている。

 斗女郷は、稲里村『村勢要覧』によると、広田・藤牧は斗女郷に属していたとしている。『和名抄』高山寺本に「斗女」と記し、「止米(とめ)」と訓じ、流布本でも「土女(とめ)」と訓じている。「斗売(とめ)」とも記す。氷鉋斗売神社の神格が分かれて、犀川に近い北部七ヵ村は氷鉋郷、千曲川に近い南部一〇ヵ村は斗女郷になったと『大日本地名辞典』は記している。『日本地理志料』に「按(あん)ずるに刀売は女子の美称なり、また、斗弁ともいう」と記し、『信濃地名考』は「斗女郷、いま戸部村存す。戸部、富部につくる」と記している。このことから推して、斗女郷は、東部は頤気(いけ)(池)郷、北部は氷鉋郷を境にした、川中島町御厨(みくりや)を中心とし川中島南部の千曲川にかけての地域が定説となっている。地域的にみて、田牧は斗女郷・氷鉋郷・頤気郷が混在していた地域であったと考えられる。