平成十一年に国の登録有形文化財に指定された小林家住宅(稲里町広田小林清吾宅)は、明治期に建築した川中島地方の大地主階層の典型的な邸宅である。二階建ての「主屋」(六九〇平方メートル)、「北蔵」(一二六平方メートル)、「正門」、「燻蒸蔵(くんじょうぐら)」(一二平方メートル)の四棟が登録文化財となっている。
瓦葺(かわらぶ)き入母屋(いりもや)造りの「主屋」は、明治三十七年(一九〇四)の建築で、重厚な構えである。正面に客を送迎する江戸末期の庄屋邸宅様式を採用した「式台玄関」があり、内部も欅(けやき)材や檜(ひのき)材が多く用いられた豪勢な造りが特徴である。台所のあった土間の天井は小屋組みを露出させ、囲炉裏を復元している。明治初期に造られた瓦葺き切妻屋根の「北蔵」は、味噌(みそ)蔵と文庫蔵からなっている。「正門」は市道稲里東福寺線の道路から二〇メートルほど入ったところに建てられ、奥行感を生んでいる。正門の東側に接する鉄板葺き寄棟屋根の籾(もみ)をいぶすための「燻蒸蔵」は、一部に洋風様式を取りいれており、土塀とともに門構えを造っている。長野冬季オリンピック大会のときは、ドイツからの観戦者約一〇〇人のホームステイを受けいれ、「サムライヤシキ」とよばれた。