青木家文書は稲里町中氷鉋の青木十郎家の古文書類をさす。青木家は上田藩川中島組の割番庄屋を世襲した旧家である。代々、当主が役目柄書き綴った割番日記をはじめ、村明細帳・宗門人別帳・用水普請帳や私文書などの古文書類など、おおよそ五五〇〇点余が保存されている。これらの古文書類は、東京教育大学(現筑波大学)農村資料研究室で調査され、『青木家文書目録』として分類整理された。近世農村史を研究するうえで貴重な資料となっている。これらの古文書類は長野市立博物館に寄託され、研究者の便に供されている。青木家文書のなかにある文禄四年(一五九五)の『中氷鉋村・下氷鉋村検地帳』(『太閤検地帳』)は、昭和四十七年(一九七二)に長野市の文化財に指定された。
太閤検地は、北信濃地方では文禄四年に実施されたが、現存する検地帳は青木家の一帳だけという。この検地は秀吉の重臣増田(ました)長盛が奉行となって実施した。検地は一村単位におこなわれるのがふつうであるが、ここでは中氷鉋・下氷鉋の両村を一帳に仕立てている。下氷鉋「中ぼり」から田畑一筆ごとに竿入れを始め、ついで中氷鉋村におよび、最後に両村の居屋敷をまとめて取りあげている。そして末尾には両村全体の集計値を出している。記載形式は上段に田畑屋敷別、上中下の位付(くらいづけ)、縦横の間数、中段に反別と石高、下段に耕作者をそれぞれ書いている。