一 神社

783 ~ 785

 八幡社 中氷鉋陣場 ①祭神 誉田別命(ほんだわけのみこと) ②由緒 口碑によると、往古は倉稲魂命(うかのみたまのみこと)を主神として奉斎していたが、永禄年中、川中島の合戦で兵火のため焼失した。川中島の合戦中は武田の陣屋となり、武神の誉田別尊を奉斎して武運長久を祈願した。これ以後八幡社地一帯を陣場川原と称するようになったという。境内社に秋葉社・青木社がある。中氷鉋東・西・第五・陣場・久津町・日新・二ッ屋が氏子。

 氷鉋神社 中氷鉋下荒沢 ①祭神 建御名方命(たけみなかたのみこと)・事代主命(ことしろぬしのみこと) ②由緒 口碑によると往古は宇都志日金柝命(うつしひがなさくのみこと)を祭っていたが、のちに当祭神に改めたという。永禄年中、川中島の合戦で兵火のために焼失した。明治八年(一八七五)、拝殿を再建した。氷鉋神社の本社は春宮で、境集落の北側にある小社は秋宮で、通称大明神といっている。この秋宮のある地籍名は「大明神」である。境内社に養蚕神・金刀比羅(ことひら)社・天神社がある。中氷鉋西・東・第五・陣場・境西・境東が氏子。

 伊勢社 中氷鉋伊勢宮 ①祭神 天照皇大神(あまてらすおおみかみ) ②由緒 当社は川中島七神明の一つで、往古より近郷の人びとの崇敬を集め、旧中氷鉋村の産土神(うぶすながみ)であったという。しかし、中組においては、氷鉋神社の氏子として神祇管領(じんぎかんれい)(吉田家)へ届出をしたため、伊勢社と氷鉋神社の氏子の争奪となって訴訟となった。明治十七年大審院で伊勢社は敗訴となった。大正十二年(一九二三)本殿・拝殿を再建した。境内社に秋葉社がある。

 氷鉋斗売神社 下氷鉋字田中島 ①祭神 宇都志日金柝命・建御名方命・八坂斗売命(やさかとめのみこと) ②由緒 『延喜式(えんぎしき)』神名帳(じんみょうちょう)に記載されている更級郡一一座の一つである。祭神の宇都志日金柝命は『古事記』によると安曇族の祖神という。『神祇志料』には「更級郡の氷鉋斗売神社は、穂高の穂高見命の妹、あるいは妃を祀(まつ)るならむ」としている。寛文(かんぶん)六年(一六六六)の寺社領改めには、社領除地高一石五斗六合が記録されている。元禄十年(一六九七)の松代藩『堂宮改帳』に「諏訪宮地、大宮あり」とある。宝暦(ほうれき)九年(一七五九)の『神社書上帳』には「諏訪大明神」とある。寛政六年(一七九四)諏訪大明神から現社号に改称し、式内社格を京都吉田家より認証された。明治六年郷社となる。祝殿・拝殿は明治十一年再建された。境内社には伊勢社・津島社など一一社ある。氏子は下氷鉋・下北。

 氷鉋諏訪神社 下氷鉋入村 ①祭神 建御名方命 ②由緒 祝殿・拝殿は明治十一年に改築され、そのとき諏訪社から現社号に改称した。境内社に秋葉社・津島社がある。氏子は野池西・野池車・南区・塔之腰。

 藤牧神社 田牧柴宮 ①祭神 建御名方富命(とみのみこと) ②由緒 旧藤牧村の産土神である。昔から諏訪社と称してきたが、明治十年、現社号に改称した。境内社には諏訪社・秋葉社・天神社がある。氏子は藤牧・荒屋。

 広田神社 田牧大下町田 ①祭神 建御名方命・八坂刀売命 ②由緒 往古から旧広田村の産土神として崇敬されてきた。明治十年、諏訪社から現社号に改称した。境内社に養蚕神社・秋葉神社・天満天神社がある。広田・広田北・広田第一・田牧東・広徳・広徳南・広栄・共益が氏子。