中氷鉋村の北西端地籍の蚕川原と大久保境に延長四〇〇メートルほど北国街道が通り、丹波島宿につづく久津町に街屋が形成された。昭和十六年(一九四一)に北国街道にかわる旧国道一八号が、中氷鉋区をほぼ等分して南北に開通した。自動車交通量が増大すると、広田区の南端部を東西に国道一八号が新設され、旧国道一八号は県の管轄となり、主要地方道長野上田線となった。
北国街道の推移
中氷鉋村の北西端地籍の蚕川原と大久保境に延長四〇〇メートルほど北国街道が通り、丹波島宿につづく久津町に街屋が形成された。昭和十六年(一九四一)に北国街道にかわる旧国道一八号が、中氷鉋区をほぼ等分して南北に開通した。自動車交通量が増大すると、広田区の南端部を東西に国道一八号が新設され、旧国道一八号は県の管轄となり、主要地方道長野上田線となった。