明治二年(一八六九)二月、新政府の「府県施設順序」の布達のなかに「小学校ヲ設(もうく)ル事」を掲げている。これをうけて同年六月、中氷鉋村では、青木左右衛門・青木益之・青木直人らの奔走により、今里村小森沢に日新館が誕生した。翌三年中氷鉋・戸部・今里・岡田の四ヵ村による今里郷黌(ごうこう)が設立された。同五年小学校令の公布施行により、中氷鉋村ほか一六ヵ村組合立日新学校が発足した。同七年中氷鉋村渕默庵に支校が設立され、同八年支校が廃されて中氷鉋村立保祐(ほゆう)学校が渕默庵を仮校舎として開校した。
いっぽう、明治六年八月、下氷鉋・広田・藤牧・上小島田・青木島五ヵ村立作新学校が善導寺を仮校舎として開校した。作新学校は翌七年、現在地に校舎を新築し移った。同十八年中氷鉋村の氷鉋学校、丹波島の明衷(めいちゅう)学校、大塚綱島の知達学校と作新学校を合併統合し、作新学校の校地を拡張整備して下氷鉋小学校を設置した。同二十五年青木島村は下氷鉋学校組合から離脱し、下小島田区は真島小学校から下氷鉋学校区になった。これにより下氷鉋小学校は、稲里・小島田二ヵ村の組合立となり、下小島田区に分校が設置された。同二十五年下氷鉋小学校に稲里・小島田・青木島・真島四ヵ村組合立の下氷鉋尋常高等小学校が創立された。その後、同三十年に真島村、同三十三年に青木島村に尋常高等小学校が創立されて、稲里・小島田二ヵ村組合立の下氷鉋尋常高等小学校が設立された。同三十四年に下小島田分校が廃止された。平成五年(一九九三)三本柳小学校の開校にともない日進・久津町・二ツ屋が分離した。