真島地区は、犀川扇状地の扇端部にあたる川中島の東端に位置し、犀川の川床が沈降する以前は湧水(ゆうすい)地がみられるほど地下水に恵まれていた。地区の北側を西から東へ犀川が流れ、東側は千曲川が南西から北東に流れ、犀曲二川はこの地区の北東で合流し、合流点の標高は三四二メートルである。川合を除いた真島地区は、北西の標高三五八・〇メートルの長野大橋南端付近から三四八・四メートルの関崎橋南端に向かって東南に緩く傾斜している堆積(たいせき)平地で、土壌は肥沃(ひよく)である。北は犀川を境に川合新田・大豆島と相対し、大豆島と五輪大橋によって結ばれている。東は千曲川を境に松代町大室・若穂川田と相対し、若穂川田と関崎橋で結ばれている。北東部の犀川、千曲川の合流する落合では、地方卸売団地を折半した形で若穂牛島と接している。西は青木島町大塚・小島田町と、南は小島田町と千曲川の堤防をもって境している。この地区は西部を底辺(約二キロメートル)とし、東部を頂点(約三キロメートル)とした三角形状である。犀曲二川の造成した微高地上には、梵天(ぼんでん)・本道(ほんどう)・中真島・堀之内・北村・前渕(まえぶち)・川合などの古くからの集落がある。そしてこれらの集落は耕地をへだて、塊村(かいそん)となって散在している。
この地区は犀川・千曲川の合流点に近いため水害に見舞われたが、両河川の氾濫(はんらん)は肥沃な土壌を堆積し、この地区を豊かな農業地帯にした。終戦のころまでは、二毛作を中心とした養蚕やリンゴ栽培もさかんな純農村で、長野県のリンゴ栽培の発祥地である。戦後は養蚕にかわり、リンゴ・モモなどの果樹栽培がさかんになり「真島リンゴ」として市場の人気が高い。
真島地区は、県道関崎川中島線・県道川合川中島線が東西に通ってはいたが、旧長野市内へは丹波島橋や落合橋を迂回(うかい)しなければならない交通不便の地であった。そのうえ、旧更級郡の最北東端に位置していることもあって近代的開発が遅れていた。昭和四十七年(一九七二)に地区のほぼ中央部に、当時としては県下最大の市民体育館が開館し、南北に真島中央道が開通した。同五十五年には地区の西端に国道一八号が開通し、犀川に長野大橋が架設された。平成九年(一九九七)には、長野冬季オリンピックの競技施設としてホワイトリングが建設された。同時に、県道三才大豆島中御所線が開通し、犀川に五輪大橋が架設された。このように真島地区は、一躍交通至便の地にかわった。こうした道路の整備は、今までの純農村地帯の様相を大きく変えつつある。とくに国道一八号に沿って市街化がいちじるしく、昭和六十一年には大橋南一丁目・二丁目の新しい町が生まれた。
地区内には、ホワイトリングをはじめ、市民生活と関係の深い長野地方卸売団地・下水道終末処理場「アクアパル千曲」などがある。
面積四・六九平方キロメートル、標高三五〇メートル(旧役場跡)、世帯数九一八・人口三〇九五(平成十一年十月一日)。