真島地区は明治四年(一八七一)の廃藩置県(はいはんちけん)当時は、上真島・下真島・川合の三ヵ村に分かれていた。明治五年に戸籍法が施行されると三ヵ村はともに第三七区に属した。同七年戸籍法が改正され、大小区制が施行されると三ヵ村は、北第一六大区第七小区に属した。同九年五月、上真島村と下真島村は合併して真島村となった。
地方行政の区画分合
真島地区は明治四年(一八七一)の廃藩置県(はいはんちけん)当時は、上真島・下真島・川合の三ヵ村に分かれていた。明治五年に戸籍法が施行されると三ヵ村はともに第三七区に属した。同七年戸籍法が改正され、大小区制が施行されると三ヵ村は、北第一六大区第七小区に属した。同九年五月、上真島村と下真島村は合併して真島村となった。