市制・町村制の施行により明治二十二年四月、真島村と川合村は合併して真島村となり、旧村名を継承した二大字を編成した。この合併は県の強い行政指導があった。県は合併計画にしたがい真島・川合の両村の合併を二ヵ村に諮問(しもん)した。この諮問にたいし、両村は千曲川、犀川のあいだに散在し、治水工事費は他村の倍額を要し、その賦課方法は旧慣行によっているため、合併しても益がないとして諮問案に反対の答申をした。しかし県は、川合村は弱小村でとうてい独立に耐えるものでない。また、川合村の全戸数五八戸のうち、三〇余戸が真島村地籍内に居住していることなどから、知事は命令をもって両村を合併させた。