真島地区の石造文化財は一五〇基ほどで、多くは真島にある。川合にあるのは一〇基ほど、このうち八基は石祠(せきし)で、犀川堤南側の水神の石祠二基を除いては川合神社の境内にある(『市石造文化財』『県石碑目録』)。川合神社の境内の石造物は、水神・秋葉社などの石祠のほか、石灯籠(いしどうろう)と万治(まんじ)三年(一六六〇)の庚申(こうしん)塔、明治二十九年(一八九六)の筆塚である。なかでもこの庚申塔が年号のわかる石造文化財としては、この地区で一番古い。川合でも道祖神・馬頭観音などの民間信仰の石造物も建立されていたと思われるが、この村をしばしば襲った洪水は、これらの石造物をも押し流し、この庚申塔だけが流失を免れたのであろう。本道組に祭られている天明四年(一七八四)の如意輪(にょいりん)観音像は、畑中に埋没されていたという(『真島本道』)。
梵天(ぼんてん)東の路傍に徳本念仏塔が建っている。高さ二七三センチメートルの大きな石塔である。この塔のあるあたりを「卜ッコサン」という。「徳本さん」から出た俗称という(『更北の地名』)。また、真島の清水神社境内には、石祠一六基と石灯籠八基がある。寛保(かんぽう)二年(一七四二)の千曲川の大洪水は「僅少の生存ありしのみ、家屋流出して一村全滅」という大きな被害をあたえた(『更級郡誌』)。水害常襲の川辺の村、真島の人たちの、水神として広国押武金日命(ひろくにおしたけかなひのみこと)(安閑(あんかん)天皇)を祭る清水神社への敬虔(けいけん)な祈りが、数多くの石祠・石灯籠を奉納させたと伝えている。
本道組には、金山神社境内の芭蕉句碑「古池や蛙飛び込む水の音」をはじめ、地元俳人の句碑が多く建てられている。「庵(あん)の戸や草花越しに帆の見ゆる」吉田慶雲、「月出でて心も涼し夏野哉」吉村露英、「月出でて一と筋白し千曲川」小山一峰、「水は澄み影は声して秋は来ぬ」小山栄峰らの句碑で、家人や門弟らによって屋敷地に建てられている。