千曲川護岸普請の出入り

833 ~ 834

元治(げんじ)元年(一八六四)八月九日の千曲川大洪水は、小島田・真島両村境の土手の決壊をはじめ、川岸の崩落など川沿いの村々に大きな被害をあたえた。真島村の対岸、大室村では千曲川護岸普請を藩に願いでて、工事にとりかかった。この普請は事前に真島村の了解のないまま着工したのか、両村のあいだに争いが起きた。藩では村役人・百姓代表を藩庁に召喚して事情を聴取した。これにたいし真島村は、「千曲川の本流は年ごとに悪くなり、当村の耕地へ押しせまって難渋している。そこへ大室村では、二一〇メートル余も、護岸と称して刎形(はねがた)の普請(護岸のために本流が川中心部に流れるようにする工事)をされては、まことに迷惑である。大室村で普請する場所は、耕地が高く、二メートル程度の出水では冠水しない高地である。これにたいし、当村の耕地は減水のときでさえ冠水の心配がある。洪水のときは田畑の冠水はもちろん、住居にも浸水して村びとは難儀している。刎形の普請は本流が真島村側に寄るので村にとっては死活問題である」と、大室村の普請を中止することを訴えた。この村争いは、道橋奉行の勧告にしたがって和解した。


写真6 大室村と出入りになったあたりの千曲川 写真左手前は大室、遠方右手は真島堀之内