一 産業の推移

835 ~ 835

 真島地区は犀川扇状地の末端部の千曲川・犀川合流地に位置している。そのためしばしば両河川による水害をうけた。しかしその反面、洪水は肥沃(ひよく)な沖積(ちゅうせき)地帯を形成した。両河川沿いの石川原を除いてほとんど耕地化され、農業がこの地区の生活基盤となってきた。氾濫原(はんらんげん)を流れた犀川の幾筋かの小支流に沿って用水堰が開削され、微低地は水田として利用され、堰と堰のあいだの微高地(自然堤防)は、畑地として利用されてきた。こうした土地利用方法は、江戸期から昭和にも引き継がれてきた。農業経営は、江戸時代から継承した水稲栽培を指向する農業が長くつづいたが、のちには畑作が優位になってきた。