昭和二十五年ころまでは、食料不足や食料統制により、大小麦・雑穀・さつまいも類の作付面積は減少しなかった。昭和二十三年に作付け統制が解除されるとリンゴ園は激増した。昭和三十五年には農家の八一パーセントに当たる三七一戸でリンゴが栽培されていた。また、リンゴ園も昭和二十二年では四〇ヘクタールにすぎなかったが、それが一二〇ヘクタール、全農地の五一パーセントを占めた。これにたいし桑園は、昭和二十二年の九〇ヘクタールから四九・六ヘクタールに激減した。その後、リンゴ価格の低迷・兼業化・高齢化・後継者難などの社会・経済の変化などもあって昭和六十年にはリンゴ園は五〇ヘクタールを割った(『真島小学校百年誌』)。