戦後の真島小学校

845 ~ 845

敗戦後、戦争の反省から昭和二十一年、平和憲法が公布され、「民主的な文化国家建設と人類の福祉に貢献する」教育が始まった。翌二十二年、真島国民学校から真島小学校、および真島中学校となり、中学校は小学校に併設された。同二十六年八月、真島・稲里・小島田・青木島四ヵ村の組合立更北中学校が現在地に設置された。これにより真島中学校は閉校し、校舎は真島小学校に移管された。

 同三十一年に北二階校舎が建築され、その記念事業として校歌が制定された。校歌の作曲は、真島北村出身の北村英男に依頼し、歌詞は村内一般から募集した。応募作品一五点のなかから梵天の小山芳郎の作品が選ばれた。選考と監修は中村清美であった(『真島小学校百年誌』)。