終戦を契機として日本の農業は、耕地所有・栽培技術・経営方針・営農組織などにおいて大改革された。昭和二十五年(一九五〇)ころを境として、従来の自給的農業は商業的農業へと転換した。その要因は経済成長による国民生活の向上、食生活の変化と工業諸技術の進歩であるが、直接の動機となったのは農地改革といえよう。農地改革は農村の民主化を促進させ、農民の生産意欲を高めた。同二十二年の真島村では全耕地三三一ヘクタールのうち、三八パーセントが小作地であった。畑にくらべて水田の小作率は高く、水田面積一四四ヘクタールの四四パーセントは小作地であった。また、農家総数四四七戸のうち、借地のない自作農家は農家総数四四七戸の三〇パーセント(一三三戸)、自有地のない小作農家は二五パーセント(一一二戸)であった(昭和二十三年『県統計書』)。農地解放が終わった二十五年には、全耕地三二七ヘクタールのうち、自作地は二九五ヘクタール(九〇パーセント)と激増した。また、農家四六〇戸のうち、自作農家は二七二戸(五九パーセント)、小作農家は一六戸(四パーセント)と小作地、小作農家ともに激減した。しかし、一戸当たりの平均耕作面積は、農地解放前の七四アールから七一アールヘと減少した。農地解放は、経営の零細化をもたらし、農業の改善をはばみ、農地の流動化をさまたげることにもなった。