戦後、食糧事情が好転し、経済が発展するにしたがって都市と農村の所得格差が拡大した。それにともない農業人口の他産業への流出がつづき、その結果農家数の減少と兼業農家の増加、就農者の高齢化と後継者難をもたらした。真島地区でも例外ではない。
真島地区は、昭和二十二年四四七戸、農家率は八〇パーセントであった。このうち、半数は専業農家であった。その後、五十年代前半ころまでは、世帯数が増加したこともあって農家率は六四パーセントと低下したが、農家数は四三八戸とそれほど変化がみられなかった。しかし、五十年代後半に入ると経済的・社会的背景から急速に離農がすすんだ。平成十年(一九九八)には総世帯数八九八世帯のうち、農家は二六八世帯と減少し、農家率は三〇パーセントを割った。農地も二十二年より一二〇ヘクタールほど減少し、農家一戸当たりの平均経営耕地面積は六〇アールに減少し、専業農家は一割ほどになった(『市統計書』)。このように農業人口が流出してきているが、専業農家を中心に郊外田園地域として意欲的に経営に取り組んできたこともこの地域の特徴といえる。